こちらの記事の続きです。
わたしは、石井数俊さんのお話が大好きです。
2024年の夏ごろは、石井さん(数くん)のお話を聞きまくっていました。
死ぬこと=体を脱ぐことは、祝福である。
私たちは、死ぬことの何千回、何万回とやってきた。
死んだら、肉体を脱いだら、なーんだ!って全体像がわかる。
死ぬことは悲しいことなんかではない。もとの状態に戻るということ、だから。
♡
今回、Fくんが、彼の魂の予定通り、体を脱いだこと。
それには、彼の魂の計画があった。
Fくんの魂に思いを馳せた。
であって、くれて、ありがとう。
いまの私にとってのメッセンジャー役を果たしてくれて、本当にありがとう。(敬礼)
♡
今までも、たくさん、そのメッセンジャーをやってくれていた人はいた。
そのたびに、「死」というものが、何なのか、わかっていない私は、三次元の膜がぶ厚すぎて、なにもメッセージを受け取れなった。
♡
このタイミングで、Fくんがくれたメッセージ、しかと受けとった。
「きーづけよ!」ってメッセージ。
死んだら終わりじゃない。死んでからが本番!ってこと。
♡
子どものころ、「なんのために、生まれてきたのだろう、どうせ死ぬのに」と思っていた。
いまは、なぜ生まれてきたか、わかる。
痛いほど、わかる。
「肉体をもったまま、わたしが本当は何者なのかに気づく」ために、生まれてきた。
そして、地球の愛の細胞として、愛の波を広げることが、したくて、生まれてきた、このタイミングを見計らって。
♡
今日、仕事中、子どもたちの寝顔を見ながら、頭の中で声がした。
「わたし、なまえも、ない」って。
急に、映画を見ているような、映画の中に存在しているような気がした。
そして、右脳が捉えた感覚に、左脳が説明文をくれた。
わたしは、なまえなんか、ない、ただの劇場。
その劇場建物自体が私。
その劇場の監督も私。
主演女優も私。
そこに出てきうる役者さんたちは、わたしの一部。
♡
オータムオリーブの木をみて思った。
わたしたちは、同じところ(幹、根、地球)からやってきている。
個別に見える私たちは、その木についた葉っぱ。
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とりとめなく書いていきましたが、私の魂のブループリントの中で、大きな局面だった一日でした。
ありがとうございます。
よもぎ♡
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