お久しぶりです。よもぎ♡です。みなさん、お元気ですか?
今日、「ある出来事」に対して、感じたことを書いていこうと思います。
昨晩、知り合いのお子さんが交通事故で亡くなりました。年齢は20歳ぐらいだったと思います。
彼が小学生のころから知っていて、成長されて、彼の高校のサッカーの試合を見たりしていました。
高校を卒業されて、大学に進学されたようでした。とっても好感のもてる青年でした。
「昨晩、交通事故で亡くなられた」と、1時間ぐらい前に聞きました。
この知り合いの方(亡くなった青年のお母さん)も、わたしは15年ぐらい知っている方です。
今の職場でも、隣の部屋で勤務されています。
三次元的な「地球人」のわたしの部分は、彼女や、旦那さん、二人の弟たちを心の様子を、想定して、「悲しみ」に共振していました。
その感情を感じていると、「さっ」と自然に、宇宙人的な視点、魂の視点での全体像も浮かび上がってきます。
この青年は、「大切なミッション」として、今回「事故死」することを選ばれてきた。
残されたご家族も、「魂の学び」のために、この体験をいま、されているところ。
ご家族のお顔を思い浮かべながら、みなさんをゴールドの光で包みつつ、「敬意」みたいな念が湧いてきました。
♡♡
そして、その青年&ご家族が私のスクリーンに登場してくれた、ということ。
「魂の視点」で生きるように、ハイヤーからのメッセージのような気がします。
「なにげない」生活の一部が、とてもかけがえない奇跡の連続であることを、知らしめてくれているような感覚です。
そして、この「地球人としての時間」が「魂としての学びの場である」ということを、改めて確認させてもらう感覚です。
「死」と恐れて、忌み嫌うのでもなく。
「悲しみ」という感情を恐れて、否定するために「むりやり5次元的な感覚を引用する」わけでもなく。
「悲しみ」という感情も、貴重な「奇跡」の体験。
いろーんなことを体験しにきた、わたしもあなたも。
♡♡
ありがとう、フィッシャー。
きっと、ご家族も大丈夫。光に向かって、進んでね。
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