「かわいそうな人」なんて、この世にいない。みんな、ひとしく勇敢で、尊敬に値する魂たちなのだから。

こちらのつづきです。

今日、20歳で交通事故で亡くなったFくんのお通夜に行ってきました。

行っても行かなくてもよかったのですが、「自分の気持ちがどうなるのか見てみたい」と感じて、行ってきました。

びっくりするほどの長蛇の列でした。

列に並んで待っている間に、

「卒業おめでとう!」とか

「地球での修行、おつかれさまでした!」とか

思おうっとするんじゃなくて、自然にそんな気持ちが溢れてきました。

そして、列に並んでいる人たちを眺めていました。

涙ぐんだり、ハグしあったりしてる人たちを見ながら、みーんな地球劇場が「現実」だと思ってるんだろうか。

この人たちのハイヤーは、なにをしているんだろうっとか思っていました。

そして、「あっ、そうか、みんな、それぞれの魂の旅路を進行中なのだ」と感じたりしていました。

列は進み、教会の中に入っていきました。

すると、Fくんの小さな時からの写真が飾られていました。

そのFくんの写真を見ながら、わたしはFくんのお母さんの気持ちに、無意識に、感情移入していました。

ちょっと涙ぐんだりしました。

Fくんのお母さんとお父さんに挨拶するときには、自然と泣けてきました。

死ぬことは、喜ばしいこと。

地球体験を、予定通り、終了したってこと。

って、腑に落ちて分かっている、知っているのに、この「感情」というエネルギーの力強さを身をもって感じました。

「深く悲しんでいる」Fくんのお母さんを見て、

わたしは日本語で、「なんで、みんなに知らせてあげられないの!悲しむ必要なんて、ないのに!」と独り言を言っていました。

死ぬことは悲しいことじゃない。

死んでも、魂は続いているし、「会いたい、感じたい」と思えば、異なる形態でだけれど、すぐに「会えるし、感じれる」んだよ。

だから、そんな風に悲しむ必要ないんだよ。

これは、何千回目のお芝居なんだよ。

おなじ魂のグループで、役柄を変えて、ずっとずっと一緒に学んでるんだよ。

家に帰ってきて、これを書きながら、また学びが深まりました。

というのも、わたしは「悲しんでるFくんのお母さん」を三次元的に、「かわいそう」って感じてたのです。

とんでもない!

Fくんのお母さんのハイヤーも、今世では、「これ」をやるよ!って合意して、今回、地球に降りてきたのです。

みんなの魂が、等しく、勇敢で、尊敬に値する存在なのです。

「かわいそうな人」なんて、いないのです。

お通夜に行って、よかったなって感じています。

さらに学びが深まった感覚です。

とりとめもない文章ですが、よんでくださって、ありがとうございました。

よもぎ&みせん

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この記事を書いた人

読んじゃうと、目が醒めちゃうマンガかいてまーす♡

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