こちらのつづきです。
今日、20歳で交通事故で亡くなったFくんのお通夜に行ってきました。
行っても行かなくてもよかったのですが、「自分の気持ちがどうなるのか見てみたい」と感じて、行ってきました。
びっくりするほどの長蛇の列でした。
列に並んで待っている間に、
「卒業おめでとう!」とか
「地球での修行、おつかれさまでした!」とか
思おうっとするんじゃなくて、自然にそんな気持ちが溢れてきました。
♡
そして、列に並んでいる人たちを眺めていました。
涙ぐんだり、ハグしあったりしてる人たちを見ながら、みーんな地球劇場が「現実」だと思ってるんだろうか。
この人たちのハイヤーは、なにをしているんだろうっとか思っていました。
そして、「あっ、そうか、みんな、それぞれの魂の旅路を進行中なのだ」と感じたりしていました。
♡
列は進み、教会の中に入っていきました。
すると、Fくんの小さな時からの写真が飾られていました。
そのFくんの写真を見ながら、わたしはFくんのお母さんの気持ちに、無意識に、感情移入していました。
ちょっと涙ぐんだりしました。
Fくんのお母さんとお父さんに挨拶するときには、自然と泣けてきました。
死ぬことは、喜ばしいこと。
地球体験を、予定通り、終了したってこと。
って、腑に落ちて分かっている、知っているのに、この「感情」というエネルギーの力強さを身をもって感じました。
♡
「深く悲しんでいる」Fくんのお母さんを見て、
わたしは日本語で、「なんで、みんなに知らせてあげられないの!悲しむ必要なんて、ないのに!」と独り言を言っていました。
死ぬことは悲しいことじゃない。
死んでも、魂は続いているし、「会いたい、感じたい」と思えば、異なる形態でだけれど、すぐに「会えるし、感じれる」んだよ。
だから、そんな風に悲しむ必要ないんだよ。
これは、何千回目のお芝居なんだよ。
おなじ魂のグループで、役柄を変えて、ずっとずっと一緒に学んでるんだよ。
♡
家に帰ってきて、これを書きながら、また学びが深まりました。
というのも、わたしは「悲しんでるFくんのお母さん」を三次元的に、「かわいそう」って感じてたのです。
とんでもない!
Fくんのお母さんのハイヤーも、今世では、「これ」をやるよ!って合意して、今回、地球に降りてきたのです。
みんなの魂が、等しく、勇敢で、尊敬に値する存在なのです。
「かわいそうな人」なんて、いないのです。
♡
お通夜に行って、よかったなって感じています。
さらに学びが深まった感覚です。
とりとめもない文章ですが、よんでくださって、ありがとうございました。
よもぎ&みせん
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